使えると思ったらやってみる
いつだったけか?昔の写真を見かけたので、思い出話を…
これは、今年の五月の写真。空いてあった発泡スチロールを見て、
「おっ、丁度良さそうなサイズだ」っと思い、思ったら、やってみる。
丁度その時期は、ミニナスの苗があったので、移植。知人にプレゼントしました。
発泡スチロールは、穴が空いていないため排水できません。
それは承知の上。
水やりを忘れないように、たっぷり与えられる環境を意識しました。
つまり、水がたっぷりの状況でも腐りません。
ただ、ず〜〜っと水がたまりっぱなしは、生き物です。良くありません。笑
水を与えるタイミングを見てあげましょうね。
普通に排水口が欲しい場合は、カッターか何かで、穴をあけると良いです。
とても便利なプランターです。サイズも程よし。
母ちゃん自作の陶器
これもプランターにしました。
うちの丸プランターよりもひとまわり小さいサイズ。
どのくらいの大きさかというと、ざっと直径40cmぐらいだったかな。
ちなみにこのお花は、ペチュニア。これも五月の写真です。
なのでペチュニアは、現在無いので、よろしくお願い致します。笑
竹プランター
周囲の山を見渡すと竹が必ずどこかにあります。
とても成長スピードの早い竹。山を眺めるとどこかの一画が必ず竹で乱れが出ています。
乱れ?
竹林が山の環境を荒らす
放置竹林になると…
- 木々の空間を埋め、日光を遮断してしまう。地表に光が届かない。
- 地盤が弱くなる
- 成長するだけ成長して、乾燥、放置竹林化。人が入れない。手を加えられない。
- あまり荒れすぎると「手を加える気持ち」が薄れる
心地よい環境
ここ数年、いや徐々に積み重なってきてしまった、が適当なのかわかりませんが
自然と人、環境は、循環していました。
いったいどの当りからか…わかりませんが、
「楽(らく)」という意識が生活環境を大きく変えてきてしまった。
そんな感じでしょうか。
身の回りにある宝
このブログ内でも時より登場する椅子やテーブル、畳、ステージ、その他の内容は
ほとんど、頂き物。「使わなくなった。売り物でなくなった」
今の時代、対象に対し、目が届かなくなったモノたち
→ どこか懐かしさを感じる昭和の椅子?
百姓です
百通りのことができる 笑
何もなかったから、身の回りにある、目につくもので遊ぶ
それが昔の遊び方
それと「もったいない」というのが、どこかにある。笑
器を見かけたらなんでもプランターに見えてしまいます。
やってみる。そこからスタートです。
やってみませんか?
ウチにあるモノでよければ、いつでも?
または、お好みのプランターをお持ちになって、遊びにきて下さい。
土のお話もその際自然と出てくると思います。笑