育てられる人育てられない人

植物は環境を視ている

環境とは、その植物にとって取り巻く周囲。我々、人間もそのひとつ。
大きなカギを握っています。

育てられる人は、植物を視て、植物を学び、自分自身をも学んでいます。
育てられない人は、その逆。
植物を視ず、学ばず、自分自身に生かし切れない。
今日は、なぜか。こんな心地。うん。

汚しては、いけない世界があるから。

紫草の足跡

紫草

縁が生まれ、縁に恵まれ、救われる世界観が存在しています。
簡単にいうと生き方、生きる姿勢が、我々自身、また紫草そのものにあります。
ところが、世界は、広いです。
我欲が走り過ぎ、何のためなのか、そもそも存在せず、
自己の満足のみに留まった生き方もあります。
多くなってきている気もしています。なぜか。時代でしょうか。
基本は、個々にあるものなので、時代の制にしても仕方がありません。
変わるもの、気づくものもありませんから。
どれだけ向き合うかです。そう、真剣に。

生命とは、人間だけのものではありません。
呼吸ができている背景に、大地や自然が存在しています。
この環境、大地なくして呼吸、人間の営みはありません。地に、感謝する。

あたりまえ

この存在が、3.11で崩れました。
生き方と向き合わなければいけない、とき。気づく者、気づかない者。
それぞれでしょう。

育てられない人は、育ちません。

厳しいかもしれませんが、そういうものかもしれませんよ。
そもそも「育てる必要は、ない」のです。「育てば、育つ」と思うのです。
自然を見てみてください。いったい誰が、手を加えていますでしょうか?
最初のきっかけ一つで、あとはそこの大地、自然が自然と育てています。
汚してはいけない世界があります。

黙っていようかとも感じ、想いつつも、墓場に持っていく前に
残していかなければいけない(伝えなければいけない)モノもあると感じ始めています。

危機感

未来の子供たちに…どう説明するのか。
ごめんね。じゃ、すみません。

未来の顔を見ぬ孫のために、野山に木々を植える時代から
あっても維持管理できないから、現金に換える時代になっています。
なぜでしょうか。

今を生きるのに、必死な時代。未来をイメージして、愛のために生きる時代。
その当時は、そんな考える暇もなく、時間もなくただただ一心不乱。
今だから、過去を想い、言葉にしていますが
なんといいますか、いい時代です。

生きること

生きることは、そんなに簡単じゃない。

少々、書きすぎたかもしれません。

少しでも、心に、気づきを。

日本の環境だから気づくことができる機会が、多々実際に起きていることにお気づきください。

人生です。色々とあるものです。
あしからず
感謝

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