外見と中身
どっちが、どうということは、なく。どっちも、どっち。
これは、これ。それも、そう。
その時々に、生じる自然環境に対して「どう接するのか」
あらゆる環境が、周囲には生じます。
内面を流れる如水
表面、外見は、成果や結果でしょうか。
一体その変化や進化は、いつ、どこで視られるのでしょうか。
「見せない美徳が、日本人」だったようにも感じます。
生き物、植物の内面は、誰にも見えません。
その当事者も見えません。「感じ、触れる。日々を生き続ける」ことから
その成りを見続けるしかありません。
内面に触れる為にできること
”その一瞬”に、できることはないのかもしれません。
ただ、見続けること、見守り続けること、伴走し続けること
その一瞬の積み重ねの先に、見られる容姿が、その道で良いのか、どうなのかを
気づかせてくれる。また、気づく事ができるように
しっかりと伴走し続けなければいけません。
内面の成長は、見えませんが止まっていません。
感じ得られるまで、伴走者です。