4月も半ばに..あっという間ですね。
知人とスカイハウスで、昼食。
ふと、その場では、生きものの原点を辿っていました。
何の為に、何がそうさせて..いたのか。
その生きざまは、それなりに、それらしい「すがた」に出逢えているのだろうか..
紫草のすがた
自在に、ゆたか
それは、きっと、その生き抜いてきた道のりなのかもしれません。
万葉のその時代に、詠まれ、その冠位(染織)に気品を身にまとう..
また、きずを癒す効能は、ひとを癒し、気高く生き抜いてきた時代。
各地は、その姿を育み、育まれ、敬意や恩恵を納めていました。
次第に、時代に、絶滅危惧種へと..
それは、それが..ではなく。そうさせてしまっている。自然である。
環境への鏡のようなもの。
気の持ちよう:気持ち
どうするの?どうしたいの?
それでいいんじゃないの?…答えは、無く。個々の中。
見えては、消えて、生まれては、消える。
繰り返しの中に、その世代が、環境に育まれて生きていきます。
物事のようで、その空気や大気をいきていることがみえてきます。
自然に根づく、根づいたいきかた
「”自然”をどうとることができるか」
周囲の一部か、自身の一部か
周囲ごとか、当事者ごとか
根づくということ
紫草、いきもの、生命、使命..在り方に、
改めて、紫草の原点を..。これからに。種子、紫草(中川氏)とも時代を語らいました。
はて、なぜか。なぜ、出逢い、いきゆくのか。
様々です。自然に、土に、環境に
脈々とその時代は、層となり行きます。
自然は、変わらずに、同じなのかもしれません。
またの語らいに..
これからに..